月曜日, 5月 31, 2010

end of beginning

 この2年間を振り返ってみる。

 この2年間で達成した重要なこと:
1.循環器内科フェローシップを終了した
2.英文論文を5枚出版した
3.日本の教科書チャプターを1つ書いた
4.今後の研究の方向性が決まった
5.研究で学内の賞を受賞した
6.1度も学会に出席しなかった
7.1度も医師バイトをしなかった

 1.については、そもそもアメリカで循環器内科フェローシップを開始したのは、内科チーフレジデント終了直後だったから、2001年7月だ。フェローシップは通常3年間なので、2004年6月には終えるはずだった。

 ところが、研究が始まり、グラントが取れて、ビザが変わり、施設が変わり、日本に帰って学位を取って、なんてしているうちに、こんなに時間がかかってしまった。人に説明する時には、"fast track"になぞらえて"slow track"と呼んでいる。

 途中で数え切れないほどの様々な選択肢があった。アメリカで研究者として独立するとか、日本の大学病院に帰るとか、病院に就職するとか。

 選択に迫られるたびに迷ったが、長期的なキャリアの目標には全く迷いがなかったので、その目標に照らし合わせて正しいと思われる選択をいつもしてきた。その方針に間違いはなかったと思う。今はただ嬉しく、ほっとしている。

 指導医に様々なフィードバックをもらう中で、循環器内科の臨床医としてやっていく自信がついた。でも10月末に循環器内科専門医試験を受験するので、それまではまだ終わった気がしない。

 2については、病棟業務が忙しいので、「1年間に第1著者のオリジナル研究論文を1-2枚出す」という低い目標を立てたが、結局2年間で2枚書いたので、この目標はぎりぎりクリアできた。他は共著のオリジナル研究論文とか、社説とかでお茶を濁した感じ。

 意図的に、そんなに沢山のペーパーを書かなかった。今の時点で、自分にとって親しみのある分野で1塁打のオリジナル研究論文を書くのは、時間はかかったとしても決して困難ではない。

 ただそれでは頭を使わないし、新しいことを学べないし、将来的に成長が見込めない。あまり重要でないペーパーを書く代わりに、今後の研究のブレインストーミングに時間を使った。新しい分野の本を読み、ネットを検索し、人に会い、そのたびに研究計画をひねった。

 これが最も時間がかかったが、結果的に新しい方向性が決まったので、この戦略は成功したと言えるだろう。

 3については、日本の先生から急に依頼されて書くことになった。日本語で論文(教科書)を書いたのは初めてで、敬語と口語体をどのように使い分けたらいいのかよくわからなかった(そもそも日本語がおかしくなっている)。これは編集部の力量に期待しよう。いい経験だった。

 4については、多くの人と会って話すうちに、自分の中でアイデアが次第に固まって行った。ブレインストーミングのためには、人と話すのが最も効率が良いという結論に達した。もっと早くから沢山の人と会っていれば、もっと早く方向性が見えたかもしれない。

 5については、全く期待していなかったが、賞を取ったおかげでDivision内で一気に多数の人に認知されることになった。「一発屋」と言われないよう、ちゃんと研究を遂行せねば。

 6については、過去に大きな国際学会であまり学習的価値がなかったと感じた経験が多いので、ポスターが通っても面倒なので出席しなかった。反省点としては、学会は学習の場ではなく、ネットワーキングの場であるということだ。自分の興味あるフィールドの大きな学会には出来る限りちゃんと出席し、新しい人と会ってアイデアを交換すること、自分のアイデアを売り込むことをしっかりやろう。

 7.については、そもそも内科医としてのバイトに興味がなかったのもあるが、研究の時間が惜しくてバイトが出来なかったというのが正直なところだ。循環器内科フェローシップが終了したので、今後は循環器内科医としてバイトが出来る立場になる。ただ、バイトの多さとグラントが取れる率が見事に反比例するらしい。。。やっぱあと2年間は貧乏暮らし決定かなあ。

 今月は比較的楽なローテーションなので、1)研究のデータ解析、2)循環器内科専門医試験勉強、3)不整脈の勉強、をこつこつと続けて、7月からの不整脈フェローシップに備える予定。

0 コメント: